家紋と名字 (有)幾久清 北川 幹雄
日本には名字(苗字)が30万種もあるといわれ、家紋も一万種を越えます。
そして、名字と家紋には密接な関係があります。例えば、日本一の大姓「佐藤」
さんには「下り藤」が多いことはよく知られています。佐藤・加藤・後藤など藤の
つく名字には藤の紋が多いのは事実です。ここではその理由を考えてみたいと
思います。また、日本の家紋は「草花」をデザインしたものが多いのが特徴です。
その理由を1000年以上前に編纂された『万葉集』から探ってみようと思います。
【思ひ草】
道の辺の 尾花がしたの 思ひ草
今さらさらに 何をか思はむ (巻十・2270)
意味:道のほとりのススキの下のオモイグサではないが、いまさら何を思い迷おうか。
平安時代末以来「源平藤橘」つまり、源氏・平氏・藤原氏・橘氏が四大姓といわれ、古代
以来の名門とされます。そして、
源氏→笹龍胆・平氏→揚羽蝶・藤原氏→藤・橘氏→橘
という家紋が対応しています。源平の合戦の時代にはまだ家紋が定着しておらず、源氏
の白旗、平家の赤旗が有名です。しかし、平家の公達が揚羽蝶の文様を愛好し、鎧や直
垂に用いたところから、いつしか平家の家紋といわれるようになりました。一方清和源氏
の家紋は「笹龍胆」ということになっています。源頼朝が狩りをしているとき、一人の少女
がリンドウの花を捧げました。花の名を訊ねると、「秋の野の尾花にまじり咲く花の色にや
恋ひん逢ふよしをなみ・・・思ひ草と申します」と答えました。この少女が、妻となる北条政
子でした。頼朝にゆかりのあるリンドウが、その系統の人々によって家紋として代々伝わ
ることになりました。(注:思ひ草はナンバンギセルだともいわれています)
【藤】
藤波の 花は盛りに なりにけり
奈良の都を 思はすや君 (巻三・330)
意味:藤の花が盛りになりました。奈良の都のことが恋しく思われませんかあなたは。防
人司の大伴四綱(おおとものよつな)が、太宰府の長官として赴任した大伴旅人をねぎら
った歌。
藤をうたった歌は万葉集に26首あります。豆科の蔓性植物である藤は、その美しさから
古代より愛されてきました。平安の貴族たちが藤を衣服の文様に取り入れていたことは『
栄華物語』などから知られます。これを家紋としたのが藤原氏です。は藤原氏中臣鎌足が
天智天皇から藤原の姓を賜ったのが始まりで、その後北家と五摂家に分かれ朝廷の中
枢を担いました。
公家藤原氏から分かれた武家藤原氏の秀郷流のなかに、佐藤氏があります。他に内藤
・武藤・近藤・尾藤氏も藤紋を使用しました。利仁流では、新藤・斉藤・加藤などの諸氏が
「藤」を使用しました。いずれも姓に藤の字があるのが共通しています。
冒頭の佐藤さんに下り藤が多い理由がここにあります。しかし、「源氏車」も佐藤の家紋
として多く見られます。「佐藤」さんの使用紋を、ある会社が調べた結果を、多い順に書く
と、源氏車・下り藤・丸に違鷹羽・丸に木瓜・丸に梅鉢・丸に下り藤・丸に抱茗荷・丸に三
柏 ・丸に隅立四目 ・丸に橘という順になります。(
http://www.asgy.co.jp/cgi-bin/search.pl?name=%82%B3%82%C6%82%A4&option=text )こ
のことから、佐藤=下り藤と断定は出来ません。
そもそも藤原氏は藤の紋と一般的にはいいますが、藤原氏流の各家がすべて藤紋を用
いてはいません。代表的な97家のうち、わずかに7家に過ぎないのです。公家の藤原氏系
では九条家、二条家、一条家、醍醐家、正親町家、裏辻家、富小路家の7家です。近衛家
や鷹司家は「牡丹」、西園寺家は「巴」、今出川家は「楓」、四辻家は「唐花」、冷泉家は「
酢漿草」とさまざまです。
ちなみに藤原氏系の家紋を『雲上明覧』『寛政重修諸家譜』から抽出すると次のようになり
ます。
兼道流:立ち葵(主に本田氏)/ 道隆流:団扇 / 道兼流:巴
頼道流:葉菊(主に青山氏)/ 花山院支流:葉菊 /長家流:一文字
良門流:三石畳・蔦・獅子牡丹 / 利仁流:藤 / 秀郷流:藤
為憲流:木瓜・松
【橘】
橘は 実さへ花さへ その葉さへ
枝に霜降れど いや常葉の木 (巻六1009)
天平八年冬11月、葛城王(かつらきのおおきみ)は、橘姓を賜り名を諸兄と改めました。
この時の聖武天皇の御製といわれる歌です。
「常葉の木」として霊樹タチバナを称えると共に、諸兄の繁栄を祈願した歌です。
元明女帝の宴席で諸兄がタチバナの浮き杯を賜ったのが家紋の始まりだといわれてい
ます。当時家紋が発生していたかは疑問ですが、橘氏が家のシンボルとして大事にして
いたのは確かなようです。橘氏は衰退してしまいますが、室町時代の薬師寺氏・小寺氏、
江戸時代には井伊氏・久世氏・黒田氏などの大名が橘紋を用いました。
万葉集の編者と目される大伴家持は、
「大君は常磐にまさむ橘の殿の橘ひた照りにして」(巻一八4064)
「橘は花にも実にも見つれどもいや時じくになほし見が欲し」(巻一八4112)
とうたって、橘氏の繁栄を願っています。
【松】
松の花 花数にしも 我が背子が
思へらなくに もとな咲きつつ (巻十七・3942)
意味:松の花は花の数にも入っていないとあなたは思っているでしょうが、無性に咲き続
けているのですよ。
大伴家持をめぐる女性の一人、平群氏女郎(へぐりうじのいらつめ)の作。松の雄花が
目立たないのを自分の身に置き換えつつ、マツに家持の帰りを「待つ」意を掛けていま
す。
松は新年に立てる門松などのようにめでたいものの第一に挙げられ、松竹梅の筆頭に
もなっています。一本松は神霊の宿る木として尊ばれています。多くの寺社が「三階松」を
神紋・寺紋に用いているのは、この形が最も神・仏の宿りやすい形だからといわれます。
【梅】
我が園に 梅の花散る ひさかたの
天より雪の 流れ来るかも (巻五・822)
大伴旅人の作。梅の散るのを天から降り注ぐ雪と見立てた。天平二年(730)太宰府の
帥であった旅人は、その邸宅に筑紫の官人達を招き、共に「梅花の歌」32首を残しまし
た。その中の一首です。
梅の原産地は中国といわれますが、その気品ある色香と、早春に他の花にさきがけて
咲く姿は、風流人に愛好されました。万葉集でも萩に次いで多く収録されています。
梅紋といえば、学問の神様、菅原道真がすぐに思い浮かびます。菅公を祀ったのが天
満宮であり、その神紋が、「梅鉢」です。菅原氏の子孫もこの紋を用い、天神様を信仰する
人々も同じく梅鉢紋を用いました。徳川時代では、前田・松平・小出・相良などの大名が梅
紋を用いました。
【桜】
去年(こぞ)の春 逢へりし君に 恋ひにして
桜の花は 迎へ来(け)らしも (巻八・1430)
意味:去年お会いしたあなた恋しさに、桜の花がお迎えに来たようです。
サクラも万葉時代から愛された花です。サは穀霊、クラは神の座の意とする語源説もあ
り、「花見」はもともとサクラの咲き具合で稲の実りを占う祭事でした。
あおによし奈良の都は咲く花のにほうがごとく今盛りなり(巻三・328)
の花も具体的にはサクラとされています。(藤という説も)
桜紋は、桜にちなんだ名字の桜井・吉野・花木氏などが用い、徳川時代には細川・松平
・仙石の諸大名が用いています。
【撫子】
なでしこは 秋咲くものを 君が家の
雪の厳(いはほ)に 咲けりけるかも (巻十九・4231)
久米朝臣広縄
意味:ナデシコは秋に咲くものだが、君の家の雪の厳に今咲いている。
天平勝宝三年(751)大伴家持が越中の守の任期を終えて帰れるはずの正月。
その長官を招いて次官内蔵忌寸縄麻呂(くらのいみきなわまろ)は盛大な新年宴会を催
しました。大雪が降り積もる中、ホスト役の縄麻呂は庭園に雪の岩山を築き、造花のナデ
シコを飾りました。ナデシコは家持の最も愛した花と知ってのことであったのです。
ナデシコは秋の七草の一つ。大和撫子は、可憐な女性にもなぞられます。
家紋としては、藤原利仁流の斉藤氏が用いました。藤原支流の井上・大橋・乾・浅岡、清
和源氏流の藤井・松平・井上・赤井・山口・東条、菅原氏流の前田、大蔵氏流の秋月、穂
積氏流の鈴木氏などの諸氏も撫子紋です。
【菊】
父母が 殿の後(しりへ)の ももよ草
百代いでませ 我が来るまで (巻二十・4326)
両親の住む家の裏にあるモモヨグサ、自分が帰るまではそのように百代まで達者でい
て欲しいの意。防人として出征する静岡県小笠郡出身の生玉部足国(いくたまべのたりく
に)が両親の長寿を祈って惜別の心を込めて作った歌です。
万葉集に「キク」の歌がないのが意外とされてきました。しかし、このモモヨグサが『蔵玉
和歌集』や『本草綱目啓蒙』に菊の異名として扱われており、中国の菊水伝説に由来する
とみて、キクに特定されました。ちなみに、万葉集に読まれる植物のベスト3は、ハギ・ウメ
・マツで、以下タチバナ・スゲ・サクラと続きます。万葉集4500余首ある中、三首に一首は
植物に関係した歌といわれ、その種類はおよそ150種。いかに万葉人が植物と密着して
いたかがわかります。
菊紋は皇室の紋として知られています。菊は仁徳天皇のころ中国から渡来し、始めは
薬用として宮中で用いられました。大輪の菊花は、貴族の間でも愛好され、文様が盛んに
用いられるようになりました。平安の末期、後鳥羽上皇がこの菊花を愛でられ、御輿や調
度品、衣裳などに用いたことから、皇室の紋章として認められるようになったとされます。
戦国時代には、勲功のあった武将が菊花紋を下賜されました。菊紋の一種である「菊水」
は、後醍醐天皇から楠正成に下賜されました。
【稲】
秋の田の 穂の上に霧らふ 朝霞
いつへの方に 我が恋やまむ (巻二・88)磐姫皇后
意味:秋の稲穂の上を覆う朝霧のように、いつどちらの方に晴れていくのか、私の恋は。
これが実作とすると万葉集最古の歌となる磐姫皇后(仁徳天皇の皇后)の連作四首の
一つ。「いつへの方に」とさまよえる恋の行方を巧みに歌っています。
豊芦原の瑞穂の国と自国を誇った日本人。稲作は生活の中心でもありました。
稲荷も農耕神の一つ。なかでも京都の伏見稲荷は有名です。
稲紋は稲荷神社の神官や氏子たちの間で用いられました。一方苗字から稲紋を用いた
のが穂積氏と鈴木氏。穂積とは稲の穂を積んだ形。熊野地方の方言で「ススキ」といい、
日本の大姓「鈴木」さんのルーツとされます。
参考文献
『万葉花歌』扇野聖史著 世界思想社
『万葉秀歌探訪』 岡野弘彦著 NHK出版
『恋に揺れる野の花々』今野寿美著 永岡書店
『日本「家紋由来」総覧』 別冊歴史読本
『家紋』 丹羽基二監修 実業の友社
【歴史上の人物と家紋】
『戦国武将』
北条早雲:北条鱗 斉藤道三:撫子 大内義隆:大内菱 毛利元就:一文字に三つ星 武田信玄:武田菱 上杉謙信:上杉笹 小笠原長時:三階菱 今川義元:赤鳥 織田信長:織田瓜 足利義昭:足利二つ引 細川幽斎:細川九曜 松永秀久:蔦 浅井長政:三つ盛亀甲に花菱 朝倉義景 :三つ盛木瓜 柴田勝家:丸に二つ雁金 丹羽長秀:丹羽直違 前田利家:加賀梅鉢 明智光秀:桔梗 豊臣秀吉:太閤桐 竹中重治:九枚笹 黒田孝高:石持 蜂須賀正勝:丸に左卍 石田三成:九曜星 中川清秀:抱き柏 脇坂安治:輪違い 堀秀政:釘抜き 南部信直:南部鶴の丸 津軽為信:杏葉牡丹 蒲生氏郷:左三巴 小西行長:中結祇園守
加藤清正:蛇の目 吉川元春:丸に三引 九鬼嘉隆:七曜星 加藤嘉明:下り藤 池田信輝:丸に揚羽蝶 長宗我部元親:七つ片喰 伊達政宗:仙台笹 大友宗麟:抱き杏葉 鍋島直茂:鍋島杏葉 松浦鎮信:松浦星 山内一豊:土佐柏 藤堂高虎:藤堂蔦 福島正則:福島沢潟 中村一氏:星梅鉢 小早川秀秋:右三巴
島津義弘:丸に十字 佐竹義宣:日の丸扇 立花宗茂:立花杏葉 真田幸村:六文銭 徳川家康:徳川葵 井伊直政:彦根橘 大久保忠世:大久保藤 本多忠勝:本多立ち葵 酒井忠次:剣酢漿草 榊原康政:榊原源氏車
【その他の有名人】
浅野内匠頭:浅野鷹羽(丸に違い鷹羽) 大石内蔵助 :右二つ巴 吉良上野介:丸に二引き・五七の桐 板垣退助:五三の桐 沖田総司:丸に木瓜 勝海舟:丸に剣花菱 近藤勇:丸に三引き 西郷隆盛:抱き菊の葉に菊(南洲菊) 坂本龍馬:組合角に桔梗 清水次郎長:丸に片喰 高杉晋作:丸に武田菱 土方歳三:左三巴 山岡鉄舟:丸に桔梗 山県有朋:細輪に三鱗 吉田松陰:五瓜に卍 夏目漱石:井桁に菊 森鴎外:乱れ追い重ね九枚柏 坪内逍遙:丸に州浜 石川啄木:丸に石川龍膽 芥川龍之介:五三の桐 志賀直哉:丸に十の字